こんにちは、学生時代の歴史の授業中は、ほとんど寝ていたアラフィフ男のたくぞうです。
戦争のことについても、難しいことはよくわかりません。
第二次世界大戦は映画やドラマなどで、見聞きする機会が多いので、何となくわかっている程度。
でもそれだと日本人として恥ずかしいですよね。
日本のために戦ってくれた方のためにも、知っておく義務があります。
同じくあまり勉強が得意じゃなかったけど、大まかは知っておきたい、という大人のために、歴史を嫌いになる原因である人の名前や、年号、事件の名前などを、極力最低限にとどめて、日本の戦争についてザックリとまとめました。
・日清戦争
・日露戦争
・第一次世界大戦
・第二次世界大戦
さらに勉強をやり直すきっかけになれば幸いです。
プロローグ:1853年ペリー来航
時は江戸時代の末期
江戸幕府は他の国との貿易や行き来を禁じていた、つまり日本は外国とは交流のない鎖国状態にありました。
スペイン人、ポルトガル人がやってきて、キリスト教を布教させようとしていたのを防いでいたのです。
ですが、アメリカからペリーが黒船に乗ってやってきたんですね。
そして船の燃料補給地にしたいので開国しろと迫ってきたわけです。
ペリー
「開国シテクダサーイ、ヒラキナサーイ」
現中国の清もアヘン戦争でイギリスに敗れていたので、幕府は混乱するばかり・・。
270年間、安泰が続いた江戸幕府は、すっかり欧米国と戦力の差がついてしまい断ることが出来なかったのでした。
日本にとって不利な条件の日米和親条約を結ぶことになります。
さらに
イギリス、オランダ、ロシア、フランスまでもが、同じような条約を突きつけにやってきて、やはり従うしかありませんでした。
このままだと植民地にされてしまうかも知れないのに、白人に従ってばかりの日本。
そんな弱腰な江戸幕府は実権を失ってしまいます。
外国に舐められてはいけない!
そして誕生したのが、明治政府です。
江戸幕府 → 明治政府
徳川将軍が実権を握っていた江戸幕府から、明治天皇が実権を握る明治政府へと変わったのです。
白人の植民地にされないためにはどうすればいいのか。
欧米諸国と開いた軍事力の差を埋めるために「富国強兵」を合言葉に、力を入れていくことになります。
軍事力強化と近代化の始まりです。
1894~1895年:日清戦争
この戦争を一言でいうと
清と日本が朝鮮の支配権をめぐって起こした戦争です。
結果は日本の圧勝となります。
日本は多額の賠償金をゲット!
さらに台湾、澎湖諸島、遼東半島をもらうことになります。
新日で知られる隣国の台湾ですが、このときから第二次世界大戦の終わり(1885年~1945年)まで、日本が統治していたわけです。
その時に清と結んだ条約が「下関条約」といいます。
何か聞いたことがありますよね?
戦争が終わるときには、講和条約といって約束事を交わすわけですが、日清講和条約を、調印された場所(山口県下関)にちなんで下関条約といいます。
もうひとつ聞いたことがある言葉が出てきます。
それは「三国干渉」。
なぜかロシア、ドイツ、フランスの三国が、日本と清の問題に口を出してきたのです。
ロシアは、日本が遼東半島を返すことを要求してきました。
朝鮮に進出したいロシアは、日本が清国にある遼東半島を持っていると邪魔だと考えたわけです。
ロシア
「冬でも凍らない港が欲しいんや、朝鮮が調度ええねん。」
この時は日本はまだ、ロシアに従うしかありませんでした。
日本
「くそー、いつかみとけよロシア!」
腑に落ちないこともありましたが、日清戦争は日本ははじめての近代的な戦争で、朝鮮と中国を圧迫し、欧米の列強国の仲間入りする突破口を開いたことになります。
そして清から得た賠償金で、さらに軍事力をアップさせていくのでした。
1904~1905年:日露戦争
イギリスに押されてロシアと戦う日本、それを眺めるアメリカ
日露戦争を一言でいうと、ロシアと日本が、朝鮮と満州(中国東北部)の支配権を争った戦いを言います。
結果は日本が事実上勝利!
もう少し噛み砕いていうと、ロシアが朝鮮半島を侵略すると、日本にも攻めてくることは目に見えていたので、仕方がなく戦ったのが日露戦争です。
日本の存続のために”戦うしか選択肢はなかった”わけですね。
とはいえ、ロシアと日本では持っているものが、大人と子供ほどの差がありました。
人口:日本の3倍
陸軍兵:日本の10倍
海軍:日本の3倍
日本
「資金調達も限界や・・。」
ではなぜ日本は勝利することができたのか?
戦略はもちろんですが、底力とタイミングです。
海戦で勝利をおさめたタイミングで、アメリカの協力のもとに、戦争を終結させるわけですが、実は日本にはもう余力は残っていませんでした。
日本:資金不足
そんな中、ロシアはロシアで国内での不満が高まり、デモや暴動などが多発して戦争どころではなくなっていたんです。
ロシア:戦争に嫌気
その結果、日本に都合のいいタイミングで、戦争を終結することができたわけです。
この時に結んだ条約を「ポーツマス条約」といいます。
これを”引き分けだ”という見方をする人もいるようですが、日本は”ロシアの朝鮮進出を食い止めた”という戦争目的を果たしたので、世界的には勝利したと認識されています。
日本人ははじめて白色人種に勝ったとして、支配され軽視され続けてきた多くのアジア人に、勇気を与えたことも大きな功績といえます。
黄色人種の地位を、世界的に向上させたのです。
一歩間違えれば、というか大きな確率で日本は負けるところでしたから、われわれ日本人はどうなっていたのかわかりませんし、アジア人は白人に支配され続けていたかもしれません。
ただし、ポーツマス条約では朝鮮の支配権を認めさせ、鉄道の一部を手に入れたものの、賠償金を獲得することができなかったんです。
日本
「せっかく勝ったのになんでやねん!」
日露戦争には相当な額の資金を費やし、賠償金への期待が大きかっただけに、国民の不満は爆発して暴動に発展するまでになりました。( 日比谷焼打事件 )
またロシアに勝利したことは、アメリカにライバル視されることになり、のちの太平洋戦争に発展するきっかけをつくったとも、ソ連を誕生させるきっかけになったとも言われています。
とにかく歴史を大きく替えたことには間違いありません。
1914~1918年:第一次世界大戦
大正でいうと3~7年。
第一次世界大戦といわれても、あまりピンと来ない人も多いのではないでしょうか?
結果から言うと、日本のいた連合国が勝利!
日本は威力の拡大に成功し、好景気を迎えることとなります。
それではサクッとみていきましょう。
第一次世界大戦の原因は
オーストリアの次期皇帝が、セルビア人に暗殺されたことが引き金となります。(サラエボ事件)
セルビア人ってどこの国の人やねん!という人も多いかと思いますが、ヨーロッパのハンガリーやブルガリアなどに隣接する北海道ぐらいの小さな国とだけ言っておきます。
次期皇帝を殺されて、怒ったオーストリアがセルビアに宣戦布告。
オーストリア VS セルビアの喧嘩が発端というわけです。
オーストリアに付いたお友達がドイツとイタリアで、これを三国同盟と言います。
・オーストリア
・ドイツ
・イタリア(のちに連合国へ)
セルビアに付いたお友達がロシア、イギリス、フランスで、これを連合国と言います。
・セルビア
・ロシア
・イギリス
・フランス
日本もお金が欲しいのと威力拡大の為に参加したくなり、イギリスと日英同盟を結んでいたのを理由に連合国側について参戦することにしました。
日本
「ヨーロッパで騒いでるうちに、ドイツが持ってる中国の権利を頂いとこうか。」
そしてドイツが支配していた中国領土を占領し、中国を植民地化するために”21箇条の要求”を突きつけて、ほとんどの要求をのませました。
中国
「くそー、日本め!」
さらにドイツの支配下にあった南洋諸島(ミクロネシアの島々、パラオとか)も占領し、アジアでの威力拡大に成功するわけです。
戦争が長引く中、1917年にロシアは革命を起こして離脱。
ドイツが潜水艦で無差別攻撃をすることに、それまで遠巻きに見ていたアメリカが腹を立ててついに参戦。
どう考えても同盟国に勝ち目がなくなり降伏することになります。
1918年に終戦。
翌年にパリで結ばれた講和条約をベルサイユ条約と呼びます。
日本は戦争目的である勢力拡大と、不況打破に成功し、好景気(大戦景気)を迎えることになりました。
工業生産の拡大、輸出は増加して、成金といわれる金持ちが現れたのもこの頃です。
1939~1945年:第二次世界大戦
1939年にドイツがポーランドに侵攻したのが第二次世界大戦の始まりといわれています。
昭和でいうと14年。
最初はヨーロッパを戦場にしていたのですが、日本が参戦した1941年からの、太平洋戦争で世界的な規模に拡大され、人類史上最大の戦争になったのです。
第二次世界大戦の中に「太平洋戦争」が含まれていて、日本では「大東亜戦争」といいます。
※大戦には「日中戦争( 支那事変 )」も含まれます。
いちばん馴染があるというと、言い方がおかしいですが、私たちがいちばんドラマやテレビなどで目にすることが多く、現在も体験者が存在するのが、この太平洋戦争です。
その割には、真珠湾攻撃や原爆と終戦ぐらいしか知らず、なぜ参戦するに至ったかなどを答えられる人は、歴史が好きでなければ、ほぼいないのではないでしょうか?
昭和天皇が戦争を決めて、真珠湾に攻撃をかけ、最終的に原爆を落とされて降参した。
「戦争は悲惨、戦争をはじめた天皇が悪い」
というようなイメージで育ちました。
映画やドラマでも、どちらかというとどんな戦いをしているかよりも、国民の方にスポットがあてられて、戦争は悲惨だと思い知らされる・・。
感傷的になるくせに、実はよくわかっていなかったりします。
でも仕方がないんですよね、なぜなら正しく習ってこなかったから。
教科書も原因に関してはあいまいですし、書いた人の思想によって印象操作をされるような記事も多いです。
なぜ日本は大東亜戦争をはじめたのか?
ひとつは、アメリカに徴発されて、参戦せざるを得なかったからです。
昭和天皇はというと、参戦には反対でした。
ですが、アメリカは石油や鉄などの輸出を禁じる経済制裁に加えて、中華民国、インドシナからの全面撤退などを要求してきたんです。
これまで頑張って得たものを失って、アメリカの植民地になるか、一か八かで参戦して早めに講和条約に持ち込むか、という状況に追い込まれていたわけです。
天皇でも軍部を抑えることができませんでした。
もうひとつは、東アジアの安定と世界平和のためです。
欧米列強国の植民地となっていたアジア諸国を開放して、独立させることにあったのです。
これは、あまり聞いたことがないですよね?
大東亜戦争の結果、日本は長年続いた植民地支配を打ち破りました。
もし日本が参戦しなければ、日本も植民地になっていたでしょうし、アジア諸国も欧米国に支配され続けていたのです。
だから世界では日本に感謝している国も多く、BBCが行ったアンケートでは33か国中31か国が日本は世界にいい影響を与えたと考えているという結果が出ています。
ちなみに、残りの2か国は中国と韓国です。(やっぱり)
なぜ日本ではこんな偉大な功績を習ってこなかったのか?
それは、戦後の教育は日本を弱体化させる目的があったからです。
日本人が誇りを持たないように、GHQがそういったことを学ばせないようにしたわけです。
大東亜戦争を太平洋戦争と呼ばせるようにしたのもそのためです。
大東亜戦争(太平洋戦争)の流れ
日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃します。
これを宣戦布告として、日本の戦争がはじまりました。
半年ぐらいは調子がよく戦勝が続きます。
シンガポールのイギリス軍、インドネシアのオランダ軍、フィリピンのアメリカ軍などを降伏させて、東南アジアのいたるところを占領しました。
ですが、ミッドウェー海戦と呼ばれる戦いでは、暗号を解読されたなどの理由もあり、アメリカに敗れてしまいます。
それをきっかけに、調子が悪くなり、ガタルカナル島、サイパン島から日本軍は敗退させられ、日本本土への攻撃の拠点とされることになります。
1944年暮れには、空襲がはじまり、1945年3月には東京大空襲で戦況は悪化する一途をたどるわけです。
そして8月には広島と長崎に原爆が落とされます。
同時期にソ連が、日本人が約150万人いた満州に宣戦布告してなだれ込んできます。
そして8月15日の正午に、天皇の玉音放送により日本の降伏が国民に公表されて終戦となります。
日本の参戦した戦争まとめ
1894~1945年が如何に激動の50年だったかがわかります。
1853年 | ペリー来航 | 開国への始まり |
1868年 | 明治元年 | 富国強兵へ |
1894~1895年 | 日清戦争 | 賠償金や領土をゲット 朝鮮を独立させた |
1904~1905年 | 日露戦争 | ロシアの朝鮮進出を阻止 |
1914~1918年 | 第一次世界大戦 | 中国を抑え21箇条の要求 |
1941~1945年 | 第二次世界大戦 太平洋戦争 |
敗戦 植民地の開放に貢献 |
ペリーがやってきたことによって、支配されずに生き残るには、同等の力をもたないといけなかった。
つまり資源がない日本は、戦争をするしかなかったわけですね。
日本の戦争は侵略戦争といわれ、最終的にアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、中国やソ連に囲まれて、敗戦に追い込まれて敗戦国となりました。
東京裁判によって、日本のために戦った軍人は戦犯とされ、戦犯が祀られている靖国神社を総理大臣がお参りすることもできないぐらい、罪の意識を背負わされることになります。
インターネットもない時代の印象操作なんて、赤子の手をひねるぐらい簡単だったのでしょう。
今はインターネットも普及して、真実も明らかになってきましたが、いまだ国をあげて歴史をねつ造してくるバカな国も若干二国あるので困ったものです。
ニュースで中国と韓国の異常性をみていたら、真実なんてすぐわかるのですが、まだ日本人の中にもGHQの呪縛が解けない人が残っているようです。
最後に
かなり省いていますし、参考にする資料によっても見方が大分変わります。
大まかな流れがわかり、ほとんど日本の戦争について知らなかった人が、さらに調べてみるきっかけになれば幸いです。