アラフィフ、もしくはそれよりもっと後に人生をやり直したり、新しいことをはじめる人ってすごいですよね。
自分が今の生活を抜け出したいからでしょうか?ここ数年、そんな人を取り上げたテレビ番組がよく目に入ります。
主にテレビ大阪(テレ東)の番組が多いです。
テレ東の番組って、中学の頃に志賀ちゃんの「おはようスタジオ」を見ていたぐらいですが、最近はスゴイですね。
「Youは何しに」とか「世界!ニッポン行きたい人応援団」をはじめ、いちばんみてる局です。
芸能人があまり出しゃばらないからでしょうか、面白い番組が多くなったと思います。
お金をかけなくても、コンプライアンスの責任にしなくても、うまくできることを証明してますよね。
そんなテレ東の番組で、小野田寛郎(おのだひろお)さんを取り上げてました。
私たくぞうは恥ずかしながら、1年ぐらい前にこの方のことを知ったのですが、まさにアラフィフから新しい人生をはじめた人です。
小野田寛郎さんとは
「恥ずかしながら帰ってまいりました。」「よっこいしょーいち」などのギャグでお馴染みの、1972年にグァム島から帰還した横井庄一さんは有名ですよね。
戦争が終わったことを知らずに28年間グァムで過ごしてた人です。
私たくぞうは、当時はまだ生まれたか生まれてないかぐらいだったので知りませんが、小学生か中学生ぐらいの頃に、明石家さんまがネタにしていたように思います。
「よっこいしょういち」は、いまだにたまに聞くことがありますよね。
その2年後に、フィリピンのルバング島から帰還したのが小野田寛郎さんです。
横井庄一さんのように、流行語になっていないからか、たくぞう世代でもあまり記憶に残っている人は少ないと思います。
でもたくぞうはなぜか、小野田寛郎さんに興味を持ったんです。
おそらく横井さんとちがって、ひとりで戦争を続けていたからだと思います。
私たくぞうも小野田さんが帰還した頃になると、生まれていたわけですが、戦争と関係ないと思っていた自分が生まれたときにも、日本人でたった一人戦争を続けていたのが小野田寛郎さんなわけです。
小野田さんが帰還したのが1974年、ミスター長嶋が引退した年です。
その時の小野田さんの年齢が52歳を間近に迎えた51歳、まさにアラフィフですよね。
小野田さんの考えにはいろんな説があり、行動には賛否両論あるのも、また興味をそそります。
罪のない島民を殺害したりもしてるんですよね。
ちょっと話がずれますが、とある小野田さんのドキュメンタリー的な動画を見て、フィリピン人に驚かされました。
島民にとったら山賊のような存在であった小野田さんは、村を襲ったり殺害もしているわけです。
でも現地の人たちは、彼は戦争をしていたのだから仕方がないという考えなわけです。
長年にわたって苦しめられてきたというのに。
父親を撃たれた人でさえ、動画の最後には「彼を許そうと思う。」と言って締めくくってるんです。
日本はルバング島に3億円の見舞金を提示したけど、受けとらなかったという話もあります。
結局は留学のための基金を設立することで解決したようですが、どこかの謝罪と賠償ばかりを求める国とはえらい違いですよね。
なんかフィリピン人に興味がわいてきますよね。
私たくぞうも、マニラで銃を撃てるところに連れていかれて、1万5千円ほどぼられましたが、彼を許そうと思います。
話を戻します。
51歳で戦時中の山の中から、高度成長期の日本にタイムスリップしたような小野田さんは、せっかく帰ってきた日本になじめず1年後にはブラジルに移住します。
政府にもらったお金や義援金を、靖国神社に奉納したことによって、多くの日本国民から心無い誹謗中傷を浴びせられたりして、当時の日本に愛想をつかしてしまったようです。
私たくぞうは、小野田さんを非難する気持ちにピンと来ないのですが、左界隈の人たちの仕業なのでしょうか。
小野田さんは、「急にこの年齢で、日本では仕事に就くことができないから、ブラジルへ行く」というようなことを言っていましたが、やっぱり当時もアラフィフで仕事をさがすのは難しかったんですかねぇ。
でも結婚は仕事をさがすほど、難しくなかったようです。
ブラジルへは、帰国後に結婚した奥さんと一緒に渡っています。
57歳で帰還した横井庄一さんも、結婚されていますが、周りのお膳立てのようなものがあったのでしょうね。
ブラジルでは10年で牧場経営を成功させて、その後は日本に帰って来ていたようですね。
1984年といえば、校内暴力の全盛期だったと思いますが、小野田さんは「健全な日本人を育成したい」ということで「小野田自然塾」というサバイバル塾を主宰しています。
その後も活動家として講演などを続け、2014年の1月に91歳で肺炎のために亡くなられています。
日本に帰還してからちょうど40年です。
ほんの最近ですよ。
日本のために最後まで戦っていた小野田さんの目には、今の日本はどう映っていたんでしょうね。