健康

レーシックから17年、アラフィフになった男の老眼事情。

メガネ

視力ってカテゴリーで言うと、健康なんですかね?

こんにちは、アラフィフ男のたくぞうです。

目が悪くなったのは、小学校五年生のときだったと思います。

そこまででもなかったけど、授業中だけメガネをかけることにあこがれたのが始めだったと思います。

映画「天国にいちばん近い島」で、原田知世が黒縁メガネをかけてたのがきっかけだったような気もします。

当時はメガネは今と比べて値段が高かった、というか安いメガネがなかったので、親にとったらえらい迷惑ですよね。

基本的には視力は、だんだん悪くなっていきますから、たまに新しいメガネをねだらなければいけませんが、安くても3万円以上はしていたと思うので、気が引けたのを覚えています。

高校生になった時にはじめてコンタクトを買ってもらいましたが、なぜかハードコンタクトだったので、違和感があってたまらなかった記憶があります。

ハードコンタクトは小さいから、黒目の中を動くんですよね。

いまでもハードコンタクトってあるんですかね?

そんなこともあったせいか、大人になってソフトに変えたときは、まるで裸眼を手に入れたような気分になりました。

メガネとコンタクトを使い分けていましたが、基本的にはコンタクトをしていたような気がします。

メガネの方がラクだけど、やっぱりメガネの印象がつくのが嫌だったのかもしれないですね。

とにかくメガネもコンタクトもあまり好きではありませんでした。

子供の頃から頭痛持ちなのですが、目の疲れから頭痛になることが多かったのもあったと思います。

飲食店で働くことが多かったので、長時間労働にコンタクトはきついんですよね。

メガネは脂が飛び跳ねてレンズが汚れて、気持ち悪いので嫌でした。

とにかくメガネもコンタクトも大嫌い。

でも当時ってまだレーシックがなかったんですよ。

AK手術だかなんだか忘れましたが、要するにメスを使う手術で、料金も100万円ぐらいするものしかありませんでした。

それでも手術をしたいと思いはじめていたんです。

海外でコンタクトを奪われる事件が発生

バックパッカーをしていたのですが、当然メガネとコンタクトを持っていっていました。

あれは忘れもしない、えーと、スペインのどこだったかバルセロナあたりの公園で、野宿をすることになったんです。

そこでまあ、ちんけな強盗にあったわけですが、メガネとコンタクトは外して、それを入れたカバンを枕にしていたのですが、それをむしり取られて目が覚めました。

夜で真っ暗だし、眼鏡もコンタクトもしていないので、当然何も見えないところに、さらになんらかのスプレーを目に浴びせられたんです。

結論を言うと、その強盗は若い2人組で、一緒に野宿をしていた青年がカバンを取り返してくれました。

はしょりますが、そんなこんなで絶対に視力がよくなる手術を受けようと心に決めたわけです。

そこから数年たちますが、そろそろ手術をしようかという頃に、レーシックが出てきたわけです。

タイガーウッズにイチローに、スポーツ選手はみんなやってるぞ!みたいな勢いもあってわくわくしました。

メスを入れずにレーザーだけで、短時間で済むうえに料金もメスを使う手術に比べて格段に安い。

もうやるしかありませんでした。

レーシック手術はこんな感じ

その頃は今ほどではないですが、ネットでも情報を調べることができたので、大阪のレーシックができる眼科を探しました。

料金は全部込みで31万円です。

手術前に3回ぐらい通って手術をして、何回か経過を見せるのと薬をもらうために通うのですが、それら全部込みで31万円でした。

手術前に通うのは、説明のためと、目のチェックです。

あまり瞳の部分がぺったんこだと、できない場合もあるようです。

コンタクトは押さえつけることになるので、つけないように言われました。

手術は、あまり覚えてないですが、点眼麻酔をして何かかぶせられたような、視界がハッキリしない中で行われました。

時間にして両眼で10分程度。

小一時間ベットで休んで、帰宅という流れです。

その段階では視力はよくないです。

でも家まで帰れたので、それなりには見えたのでしょう。

誰かの体験談で、夜中に目を覚ますとハッキリ見えて視力が上がっていたというのを聞いていたのですが、まさにそんな感じでした。

少し寝たら急にクリアになってたんです。

次の朝は感動だったと思います。

おそらく4.0ぐらいあったんじゃないでしょうか。

遠くの文字までクッキリと見えるようになっていたんです。

でも残念ながら、そこから少し落ち着いて両目で1.5ぐらいになりました。

それでも全然すごいのですが、最初がすごすぎてちょっとショックだったのを覚えています。

そこからが、けっこう辛かったです。

3カ月ぐらいは目が沁みるような状態が続いたんです。

目薬も3種類をそれぞれ決まった感覚で飲まないといけないし、仕事をしてる人には厳しいかもしれません。

私たくぞうは、失業中だったので大丈夫でしたが。

その後、レーシックが激安になったり、視力がおかしくなったり、レーシック難民なんていう言葉もできていましたが、現在はどんな感じなんでしょうか。

どっちにしても私たくぞうは、こんなにお金を有意義に使えたことは、その時以上にないと感じています。

失われた視力が戻ったのですから。

テレビを見ながら寝ることもできるし、夜中に目が覚めてもDVDデッキのデジタル時計で時間がわかるんです。

もっとメガネをかける人がいなくなるぐらい流行ると思ったのですが、けっこうみんなメガネが好きみたいですね。

とにかくその後もずっと、問題なくやってきたわけです。

老眼の幕開け

前の日まで細かい字をものともしなかったのが、急にきた感じでした。

もしかして、レーシックのおかげで老眼にもなりにくいんじゃないかと思ってたぐらいでしたが、急にきました。

46歳になった瞬間ぐらいです。

みんながやってるあれです。

眠そうな顔をして、字から眼を離す動作。

あれをしないと、いろんな細かい字が見れなくなりました。

遠くは今までと変わらず、1.5をキープしてると思うのですが、近くは厳しいですね。

まだ老眼鏡とまではいかないですが、時間の問題なんでしょうかね。

とにかくレーシックのおかげで、通常は普通に視力がいいですし、老眼もまだそこまで酷くはありません。

アラフィフになると、暗い時に見えにくかったり、視力が低下することも多いようですが、レーシックよりもさらに進化した手術ができれば、真っ先に受けてみたいと思います。