「学生時代の歴史の授業、実はほとんど寝ていた……」
そんな経験はありませんか?
戦争の話となると、急に難しい言葉が増えて、つい敬遠してしまいがちですよね。
特に「第二次世界大戦」は映画やドラマで見る機会も多いので、「なんとなく大変だったんだな」とは分かっていても、その前の時代から何がどう繋がっているのかを知る機会は意外と少ないものです。
でも、私たちが今生きているこの日本がどうやって歩んできたのかを知ることは、とても大切なこと。
そこで今回は、歴史が苦手な方でも一通り流れを掴めるよう、年号や人名などの細かいデータは最小限にして、日本の戦争についてザックリとまとめました。
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日清戦争
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日露戦争
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第一次世界大戦
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第二次世界大戦
大まかな流れを知ることで、歴史への見方が少し変わるかもしれません。まずはリラックスして読んでみてください。
※あらかじめご了承ください
細かな正確さよりも「全体像の把握」を優先して、あえて大まかな表現にしています。
プロローグ:1853年、すべての始まりは「黒船」だった
時は江戸時代の末期。
当時の日本は、外国との交流をほとんど断っている「鎖国」という状態でした。
そこに突如、アメリカからペリーが黒船に乗ってやってきたのです。
彼の目的は「船の燃料補給地として使いたいから、日本よ、国を開け(開国しろ)!」という要求でした。
【なぜ断れなかったの?】
当時の大国だった中国(清)が、イギリスとの「アヘン戦争」に敗れたというニュースが日本にも届いていました。270年ほど平和が続いた江戸幕府は、欧米との圧倒的な戦力差を突きつけられ、要求を断ることができませんでした。
結局、日本にとって不利な条件で条約を結ぶことになります。
※日米和親条約
さらにイギリスやロシア、フランスなども同じような要求を次々と突きつけてきました。
「このまま言いなりになっていたら、日本が外国に乗っ取られてしまう……!」
そんな危機感から、弱腰になった江戸幕府は終わりを迎え、新しい時代「明治政府」が誕生しました。
白人の国々に支配されないためには、どうすればいいのか?
日本は、欧米に追いつけ追い越せと、軍事力の強化と国の近代化に全力を注ぐことになります。これが「富国強兵(ふこくきょうへい)」の始まりです。
1894~1895年:日清戦争(にっしんせんそう)
近代化した日本が最初に向き合った大きな戦争が、「日清戦争」です。
これは一言でいうと、清(中国)と日本が、朝鮮半島の主導権をめぐって戦った戦争です。

当時の日本にとって、お隣の朝鮮半島が他国(特にロシア)に支配されることは、日本の安全を脅かす大ピンチでした。そのため、日本は朝鮮を清の影響から切り離そうとしたのです。
結果は、日本の勝利に終わりました。
この戦争で得たもの・起きたこと
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多額の賠償金
日本は巨額のお金をゲットし、それをさらに軍事や産業の強化に回しました。 -
領土の獲得
台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東(りょうとう)半島を譲り受けました。-
親日で知られる台湾ですが、この時から約50年間、日本が統治することになります。
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下関条約
山口県の下関で結ばれた講和条約(戦争終わりの約束事)です。
しかし、ここで面白くないのがロシアです。
日本が手に入れた遼東半島を見て、ロシア・ドイツ・フランスの3カ国が「日本、そこは返しなさいよ」と文句をつけてきました。これを「三国干渉(さんごくかんしょう)」といいます。
当時の日本は、この3カ国を相手に戦う力はまだありません。悔しさをこらえて半島を返却します。
「今に見ていろロシア……!」
この怒りが、次の大きな戦争へと繋がっていくことになります。
1904~1905年:日露戦争(にちろせんそう)
日清戦争から10年後、ついに因縁のロシアとの戦いが始まります。
一言でいうと、ロシアの南下を止め、日本の自衛のために戦った戦争です。

当時のロシアは、冬でも凍らない港を求めてどんどん南へ進出してきました。もし朝鮮半島までロシアのものになれば、日本は目の前に銃口を突きつけられるようなものです。
とはいえ、当時のロシアは世界最強クラスの大国。日本とは「大人と子供」ほどの差がありました。
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人口: ロシアは日本の3倍
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陸軍: ロシアは日本の10倍
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海軍: ロシアは日本の3倍
なぜ日本は勝てたのか?
圧倒的に不利な状況でしたが、日本は海での戦いで奇跡的な勝利をおさめるなど、必死に食い下がりました。
ちょうどその頃、ロシア国内でも戦争への不満が爆発してデモや暴動が起きており、ロシアも「もう戦争どころじゃない」という状態に。
そこでアメリカの仲介(ポーツマス条約)により、日本に有利なタイミングで終わらせることができました。
この勝利は、世界に衝撃を与えました。
「アジアの小さな島国が、白人の大国に勝った!」という事実は、当時欧米の植民地にされていたアジアやアフリカの人々に「自分たちも独立できるかもしれない」という大きな勇気を与えたのです。
【賠償金ゼロの悲劇】
勝ったとはいえ、この条約では「賠償金」がもらえませんでした。戦争に多額のお金をつぎ込み、多くの犠牲を出した日本国民の不満は爆発し、国内で大きな暴動が起きるほどでした。( 日比谷焼打事件 )
1914~1918年:第一次世界大戦
あまり日本に関係がないイメージがあるかもしれませんが、実は日本も参戦しています。
きっかけは、ヨーロッパの小さな国での暗殺事件(サラエボ事件)。
これを機に、「ドイツ・オーストリア(同盟国)」側と、「イギリス・フランス・ロシア(連合国)」側に分かれて世界中が戦うことになりました。
日本はイギリスと「日英同盟」を結んでいたため、連合国側として参戦。
日本は何をした?
ヨーロッパが戦火に包まれている隙に、日本はアジアにあるドイツの拠点(中国の領土など)を占領し、一気に勢力を広げました。
また、世界中が武器や物資を必要としたため、日本の輸出が爆発的に増え、「成金(なりきん)」と呼ばれる大金持ちが続出するほどの猛烈な好景気(大戦景気)に沸きました。
結果、日本のいた連合国側が勝利。
日本は世界を代表する「五大国」の一つとして認められるまでになります。
1939~1945年:第二次世界大戦(大東亜戦争)
この期間は、世界中でいくつもの戦争が同時多発的に起き、それが最終的に一つにまとまって「人類史上最大の戦争」になった時期です。
2つの大きな戦いが合流した
日本に関わる戦争は、大きく分けると2段階になっています。
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日中戦争(1937年〜)
まずは中国との間で戦いが始まり、泥沼化していました。 -
太平洋戦争(1941年〜)
中国を応援するアメリカなどとの対立が深まり、ハワイへの攻撃をきっかけに、相手が世界の大国へと広がりました。
この「すでに始まっていた中国との戦い」に、「アメリカやイギリスとの戦い」が加わり、さらにヨーロッパでの「ドイツ・イタリアの戦い」とも連動したことで、巨大な第二次世界大戦という枠組みになったのです。
日本では「太平洋戦争」とも呼ばれますが、当時の日本では、アジアを欧米の植民地から解放し、共存共栄を目指すという意味で「大東亜(だいとうあ)戦争」と呼んでいました。
なぜ日本は戦ったのか?
日本が中国での戦いを続けていると、アメリカは「中国から手を引け」と要求し、日本への石油などの輸出を止めました。資源がない日本にとっては、これは「干上がって死ね」と言われているようなものでした。
追い詰められた日本は、「このまま植民地になるか、それとも一か八か戦うか」という極限の状態で、アメリカとの開戦を決意します。
戦争の流れ
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ハワイ・真珠湾への攻撃
これを機に、日本の参戦が始まりました。【ちょっと補足】 長年「日本がだまし討ち(奇襲)をした」と言われてきましたが、実際はアメリカ側から突きつけられた条件が実質的な「最後通告(ハル・ノート)」だったことや、日本側の宣戦布告の書類が事務ミスで遅れたことなど、現在ではさまざまな背景があったことが分かっています。
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序盤の快進撃
最初の半年は絶好調で、東南アジアからイギリスやオランダの軍を追い出し、各地を占領しました。 -
戦況の悪化
ミッドウェー海戦での敗北をきっかけに、じわじわと追い詰められ、日本本土への空襲も始まります。 -
終戦
1945年8月、広島・長崎への原爆投下、そしてソ連の参戦。8月15日、天皇のラジオ放送(玉音放送)によって敗戦が決まりました。
【日本が残したもの】
戦争には負けましたが、日本がアジア各地で欧米の軍を破ったことで、戦後、多くのアジア諸国が「自分たちの力で独立できる」と立ち上がり、実際に独立を勝ち取っていきました。これは日本の戦争が持つ一つの大きな側面です。
まとめ:激動の50年を振り返って
1853年にペリーが来てから、1945年に敗戦するまでの約90年間、日本は常に「どうすれば国を守れるか」という問いに、戦争という手段で答え続けてきました。
| 年代 | 出来事 | 日本の立ち位置 |
| 1853年 | ペリー来航 | 必死に開国・近代化へ |
| 1894年 | 日清戦争 | アジアでの足場を固める |
| 1904年 | 日露戦争 | 白人の大国に勝利し世界を驚かす |
| 1914年 | 第一次世界大戦 | 経済大国・強国の仲間入り |
| 1941年 | 第二次世界大戦 | 敗戦。しかしアジア独立の契機に |
戦後の教育やメディアでは「日本が悪かった」という側面ばかりが強調されがちですが、当時の人々がどのような思いで、どのような状況下で決断を下したのかを知ることは、今の私たちにとってとても大切なはずです。
今はインターネットで様々な視点の情報を得られる時代です。この記事が、あなたが「本当の歴史」に興味を持つ、ほんの小さなきっかけになれば幸いです。
